揖斐站
揖斐站(日语:揖斐駅/いびえき Ibi eki */?)是位于岐阜县揖斐郡揖斐川町胫永字山王元,养老铁道的养老线车站。
揖斐站 | |||||||||||
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日语名称 | |||||||||||
揖斐 – いび – IBI | |||||||||||
车站概览 | |||||||||||
位置 | 日本岐阜县揖斐郡揖斐川町胫永字山王元 | ||||||||||
地理坐标 | 35°28′13.01″N 136°34′20.36″E / 35.4702806°N 136.5723222°E | ||||||||||
车站构造 | |||||||||||
站体类型 | 地面车站 | ||||||||||
站台 | 1面1线 | ||||||||||
历史 | |||||||||||
启用日期 | 1919年(大正8年)4月27日 | ||||||||||
上下车人次 统计年度 | 平均每日1,405人次 2018 | ||||||||||
邻近车站 | |||||||||||
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历史
编辑- 1919年(大正8年)4月27日 - 养老铁道(旧)池野至揖斐之间开通,此站启用。
- 1922年(大正11年)6月13日 - 养老铁道与揖斐川电气(后来为IBIDEN)合并[1]。
- 1928年(昭和3年)4月6日 - 揖斐川电气中的铁道事业分割至另一间公司。由养老电气铁道承继[2]。
- 1929年(昭和4年)10月1日 - 伊势电气铁道与养老电气铁道合并[1],成为养老线车站。
- 1936年(昭和11年)5月20日 - 伊势电气铁道养老线转让至养老电铁[1]。
- 1940年(昭和15年)8月1日 - 养老电铁合并至参宫急行电铁[2]。
- 1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪电气轨道与参宫急行电铁合并,关西急行铁道成立[2]。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 关西急行铁道与南海铁道(为南海电气铁道的前身)合并,成为近畿日本铁道的车站[2]。
- 2002年(平成14年)2月 - 不再安排车站职员当值。
- 2007年(平成19年)10月1日 - 近铁养老线转让至养老铁道(第2代)[2]。
车站构造
编辑车站为地面车站,设有1面1线的单式月台。此站曾经因为货物运输用途,因此车站范围较大。当列车准备到达前才开放闸口。
此站为有人车站。设有售票柜台,可购买来回车票、回数车票、定期车票(养老铁道线内各区间)。
使用状况
编辑以下为近年指定日期中,1日上下车人次数目列表:
- 2005年11月8日 :1,826人(当时为近铁养老线)[3]
- 2008年11月18日:1,743人[3]
- 2010年11月9日 : 1,615人[3]
- 2012年11月13日 : 1,615人[3]
- 2015年11月10日 : 1,478人[4]
- 2018年11月13日:1,405人[5]
- 一年乘车人次以人作单位。更适合用于比较年度数据。
- 上下车人次调查结果是在任意1日记录,以人作单位。但需注意,由于在调查日的天气、活动等原因,使数字变动会比一年乘车人次为大。
- 当中,最高値会使用红色,在最高値记录年度以后的最低値使用青色、在最高値记录年度以前的最低値使用绿色作标记。
年度使用状况(揖斐站) | |||||||
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年 度 | 一年乘车人次:人/年度 | 上下车人次调查结果 人/日 |
特别事项 | ||||
通勤定期乘客 | 上学定期乘客 | 其他乘客 | 合计 | 调查日 | 调查结果 | ||
1956年(昭和31年) | ←←←← | 552,245 | |||||
1957年(昭和32年) | ←←←← | 567,193 | |||||
1958年(昭和33年) | ←←←← | 661,022 | |||||
1959年(昭和34年) | ←←←← | 629,347 | |||||
1960年(昭和35年) | ←←←← | 679,871 | |||||
1961年(昭和36年) | ←←←← | 668,431 | |||||
1962年(昭和37年) | ←←←← | 689,826 | |||||
1963年(昭和38年) | ←←←← | 719,230 | |||||
1964年(昭和39年) | ←←←← | 674,057 | |||||
1965年(昭和40年) | ←←←← | 661,223 | |||||
1966年(昭和41年) | ←←←← | 679,980 | |||||
1967年(昭和42年) | ←←←← | 614,522 | |||||
1968年(昭和43年) | ←←←← | 624,307 | |||||
1969年(昭和44年) | ←←←← | 643,569 | |||||
1970年(昭和45年) | ←←←← | 666,000 | |||||
1971年(昭和46年) | ←←←← | 623,000 | |||||
1972年(昭和47年) | ←←←← | 591,000 | |||||
1973年(昭和48年) | ←←←← | ||||||
1974年(昭和49年) | ←←←← | ||||||
1975年(昭和50年) | ←←←← | ||||||
1976年(昭和51年) | ←←←← | ||||||
1977年(昭和52年) | ←←←← | ||||||
1978年(昭和53年) | ←←←← | ||||||
1979年(昭和54年) | ←←←← | ||||||
1980年(昭和55年) | ←←←← | ||||||
1981年(昭和56年) | ←←←← | ||||||
1982年(昭和57年) | ←←←← | 11月16日 | 2,450 | ||||
1983年(昭和58年) | ←←←← | 11月8日 | 2,281 | ||||
1984年(昭和59年) | ←←←← | 11月6日 | 2,303 | ||||
1985年(昭和60年) | ←←←← | 11月12日 | 2,240 | ||||
1986年(昭和61年) | ←←←← | 11月11日 | 2,196 | ||||
1987年(昭和62年) | ←←←← | 11月10日 | 2,313 | ||||
1988年(昭和63年) | ←←←← | 11月8日 | 2,867 | ||||
1989年(平成元年) | ←←←← | 11月14日 | 2,357 | ||||
1990年(平成2年) | ←←←← | 11月6日 | 2,741 | ||||
1991年(平成3年) | ←←←← | ||||||
1992年(平成4年) | ←←←← | 11月10日 | 2,176 | ||||
1993年(平成5年) | ←←←← | ||||||
1994年(平成6年) | ←←←← | ||||||
1995年(平成7年) | ←←←← | 12月5日 | 2,256 | ||||
1996年(平成8年) | ←←←← | ||||||
1997年(平成9年) | ←←←← | ||||||
1998年(平成10年) | ←←←← | ||||||
1999年(平成11年) | ←←←← | ||||||
2000年(平成12年) | ←←←← | ||||||
2001年(平成13年) | ←←←← | ||||||
2002年(平成14年) | ←←←← | ||||||
2003年(平成15年) | ←←←← | ||||||
2004年(平成16年) | ←←←← | ||||||
2005年(平成17年) | ←←←← | 11月8日 | 1,826 | ||||
2006年(平成18年) | ←←←← | ||||||
2007年(平成19年) | ←←←← | ||||||
2008年(平成20年) | ←←←← | 11月18日 | 1,743 | ||||
2009年(平成21年) | ←←←← | ||||||
2010年(平成22年) | ←←←← | 11月9日 | 1,615 | ||||
2015年(平成27年) | ←←←← | 11月10日 | 1,478 | ||||
2018年(平成30年) | ←←←← | 11月13日 | 1,405 |
车站周边
编辑往揖斐川町中心需要渡过粕川与揖斐川。而揖斐川町内曾经设有名铁揖斐线(于2005年4月1日废止),该线本揖斐站至黑野站之间在2001年10月1日废止。使此站成为揖斐川町的玄关口。
- 国道417号
- 养基邮局
- 揖斐警署养基警局
- 名阪近铁巴士揖斐营业所
- 养基小学养基保育所组合立养基小学
- 养基小学养基保育所组合立养基保育所
巴士路线
编辑在车站前设有揖斐站巴士乘车处,该处设有揖斐川町社区巴士路线。
曾经名阪近铁巴士设有路线驶入近铁揖斐站。在2006年(平成18年)10月1日,名阪近铁巴士在揖斐郡揖斐川町和大野町的部分路线由揖斐川町社区巴士继承(但是揖斐川町社区巴士继续委托名阪近铁巴士运行)[8]。
在2007年(平成19年)10月1日,名阪近铁・大垣揖斐线池田町公所至近铁揖斐站区间废止,使揖斐站巴士乘车处只剩下揖斐川町社区巴士路线[8]。另外,随着近畿日本铁道转让养老线,巴士站名称由近铁揖斐站改为揖斐站[9]。
在2019年(令和元年)10月1日,社区巴士由原来委托名阪近铁巴士,变更为委托揖斐的士负责[10]。改变委托公司后,路线进行重组,分为在早上和黄昏通勤时段的“揖斐川町亲睦巴士”[11],以及需求巴士“揖斐川町花桃巴士”[12]。
揖斐川町亲睦巴士[11]
车费统一为300日圆。
揖斐川町花桃巴士[12]
车费统一为300日圆。
巴士站名:揖斐站(No.64-5)
在2019年9月前的揖斐川社区巴士路线(委托名阪近铁巴士运行)
其他
编辑在2007年(平成19年)9月30日前,此站是近铁网络中最北车站。从此站起,前往京都站的单程车费为最高(不计算近铁生驹钢索线),车费超越3,000日圆。
相邻车站
编辑- 养老铁道
- 养老线
- 美浓本乡-揖斐
注脚
编辑- ^ 1.0 1.1 1.2 近畿日本铁道株式会社. 近畿日本鉄道 100年のあゆみ. 近畿日本铁道. 2010-12: 132–133・190页. 全国书籍编号:21906373 (日语).
- ^ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 曾根悟(监修). 週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄. 朝日百科周刊. 2号 近畿日本铁道 1. 朝日新闻出版. 2010-08-22: 18–23. ISBN 978-4-02-340132-7 (日语).
- ^ 3.0 3.1 3.2 3.3 养老线の概要について(平成26年度版)から5页 <各市町の駅の乘降人员数の推移>より引用 (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语) - 海津市, 2019年10月22日参阅。
- ^ 养老铁道の駅别乘降客数ランキング (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语) - 2015年11月10日更新,2019年10月22日参阅。
- ^ 養老鉄道交通調査結果2018年11月13日実施 (PDF). 养老铁道. [2019-10-22]. (原始内容存档 (PDF)于2019-10-21) (日语).
- ^ 岐阜县统计书各年度版(日语)
- ^ 近铁PR手册“きんてつ”
- ^ 8.0 8.1 バス路線に係る休廃止一覧 (PDF). 岐阜县. 2018-04-01 [2019-10-22]. (原始内容存档 (PDF)于2019-10-22) (日语).
- ^ 過去のバス路線図(岐阜県). www.rosenzu.com. [2019-10-22]. (原始内容存档于2020-10-14) (日语).
- ^ 揖斐川町コミュニティバスの廃止について. 揖斐川町コミュニティバスの廃止について. 名阪近铁巴士株式会社. 2019年9月2日 [2019-10-22] (日语).[失效链接]
- ^ 11.0 11.1 揖斐川町ふれあいバスについて. 揖斐川町ふれあいバス. 揖斐川町. [2019-10-22]. (原始内容存档于2020-11-27) (日语).
- ^ 12.0 12.1 揖斐川町はなももバスについて. 揖斐川町. [2019-10-22]. (原始内容存档于2020-11-27) (日语).