伊號第百五十九潛艦
伊号第一五九潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうくせんすいかん)是日本海軍潜水艦。伊一五六型潜水艦(海大III型b)的3号舰。竣工時艦名为伊号第五九潜水艦。
艦歷 | |
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计划 | 大正12年度舰艇补充计划 |
开工 | 1927年3月25日 |
下水 | 1929年3月25日 |
就役 | 1930年3月31日 |
除籍 | 1945年11月30日 |
结局 | 1946年4月1日 在五島列島海域作爆破処分 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:1635吨 常備:1800吨 水中:2300吨 |
全長 | 101.00米 |
全幅 | 7.90米 |
吃水 | 4.90米 |
动力 | ズルツァー式[1]3号[[]]柴油机2基2軸 水上:6800馬力 水中:1800馬力 |
速度 | 水上:20.0节 水中:8.0kt |
续航距離 | 水上:10节下10000海里 水中:3节下60海里 |
燃料 | 重油:230吨 |
乗員 | 63名 |
兵装 | 40口径十一年式12cm单装砲1門 留式7.7mm機枪1挺 53cm魚雷发射管 艦首6門、艦尾2門 六年式魚雷16枚 Kチューブ(水中聴音機) |
备注 | 安全潜航深度:60m |
艦歷
编辑- 1927年(昭和2年)3月25日 - 在横須賀海軍工廠开工建造。
- 1929年(昭和4年)3月25日 - 下水
- 1930年(昭和5年)3月31日 - 竣工。編入第28潜水隊[2]。
- 1933年(昭和8年)11月15日 - 编入预备艦[2]。
- 1941年(昭和16年)6月2日 - 直到同年10月预备艦[2]。
- 1942年(昭和17年)1月5日 - 抵达达沃[3]。
- 1月10日 - 从達沃出航,爪哇南方海面,在苏门答腊附近活動[3]。
- 1月20日 - 在圣诞岛地区击沉挪威船只「エイズボルト」[4]。
- 1月25日 - 在蘇門答臘島沙璜附近击沉英国船只「ジャン・セン」[4]。
- 1月26日 - 抵达槟岛[3]。
- 2月21日 - 从槟城出航,在印度洋地区活動[3]。
- 3月1日 - 击沉荷兰船只「ルーズブーム」[4]。
- 3月2日 - 从槟城出航[3]。
- 4月1日 - 在佐世保入港[3]。
- 4月10日 - 第28潜水隊解散,編入第19潜水隊[3]。
- 5月20日 - 改名为伊号第一五九潜水艦。
- 5月30日 - 参加中途岛海战[3]。
- 7月1日 - 在吴港入港[3]。
- 7月10日 - 第5潜水战隊解散,第19潜水隊编入吴鎮守府部隊。之后编入練習艦[3]。
- 1943年(昭和18年)12月1日 - 編入吴潜水战隊第19潜水隊[3]。
- 1945年(昭和20年)4月20日 - 編入第6艦隊第34潜水隊[3]。
- 8月15日 - 編入第15潜水隊并由此迎来终战[3]。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 在五島列島海域遭美军爆破处分[5]。
歴代艦長
编辑舾装員長
编辑- 鶴岡信道 少佐:1929年9月5日 - 1929年10月19日
艦長
编辑- 鶴岡信道 少佐:1929年10月19日 - 1931年12月1日
- 舟木重利 少佐:1931年12月1日 -
- 岡本義助 少佐:1935年10月21日 - 1936年12月1日
- 清水太郎 少佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日
- 西野耕三 少佐:1937年12月1日 -
- 揚田清猪 少佐:1938年11月1日 -
- 南勝次 中佐:1939年11月20日 -
- 遠藤忍 少佐:1940年7月26日 -
- 吉松田守 少佐:1941年10月31日 -
- 福村利明 少佐:1942年11月20日 - 1943年2月15日
- (兼)栢原保親 中佐:1943年3月16日 - 1943年5月18日
- 丰増清八 少佐:1943年5月18日 -
- 正田啓治 大尉:1944年2月15日 -
- 木村正男 大尉:1944年2月24日 -
- 三宅辰夫 大尉:1944年9月15日 -
逸話
编辑注释
编辑相关条目
编辑参考文献
编辑- 雑誌「丸」編集部《ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻》潜水艦伊号、光人社、1997年。
- 勝目純也《日本海軍の潜水艦 - その系譜と战歴全記録》大日本絵画、2010年。
- 海軍歴史保存会《日本海軍史》第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 外山操《艦長たちの軍艦史》光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9